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横浜FCの歴史

『横浜FC』は、1999年、横浜フリューゲルス(横浜F)が横浜マリノス(横浜M)に吸収合併された後に、横浜Fのサポーター達によって創設されました。
1998年10月に、横浜フリューゲルスと横浜マリノスが合併するニュースが流れるや、多くのサポーターたちはJリーグの川淵チェアマンに嘆願書を提出。署名運動も開始し、36万529人もの署名が集まりました。しかしながら、フリューゲルスの存続の望みは叶えられませんでした。諦めないサポーター達によって、フリューゲルスが復活出来ないのなら、新しいチームを作ろうという事になり、『横浜FC』が誕生するに至りました。
そんなサポーター達の熱意に支えられて誕生した『横浜FC』の歴史をご紹介致します。

1998年~ 横浜FC誕生
1998年 10月、横浜Fが横浜Mに吸収合併(事実上のクラブ消滅)されると発表。
反対するサポーターに選手も加わってクラブ存続を求める署名と募金を実施したが、合併取り消しは実現せず、天皇杯での優勝を最後に横浜Fは消滅。
1999年 合併の手続き終了後、サポーターは「フリューゲルス」という名称の譲渡を申し入れ。
この名称を使用するチームが必要との回答もあったため、出資企業の経営に左右されない市民クラブを設立。
Jリーグ ディビジョン2(J2)への参加実現に向け始動。
1999年~2000年 JFL
1999年 2月に日本サッカー協会は理事会にて、横浜FCのJFL準会員加盟を正式承認。
ピエール・リトバルスキー監督、阪倉裕二コーチ、そして選手には外国人選手パベルを含む元Jリーガー22人と契約。
2000年 JFL正会員となり、Jリーグ準会員として承認。
10月22日のJFL後期第8節で静岡産業大学に勝利して2年連続優勝を決め、シーズン終了後、翌年からのJリーグ加盟が正式承認される。
2001年~2006年 J2
2001年 J2に参入。
バイエル・レバークーゼンのコーチに就任したリトバルスキーに代わって、前年まで新潟を率いた永井良和を監督に据えたが、シーズン途中で永井は辞任。阪倉コーチの監督代行を経て信藤健仁がシーズン終盤の指揮を執ったが、シーズン成績は12チーム中9位に終わる。
2000年 キャッチフレーズ:「超攻撃的。2-4-4は横浜FC」
信藤が監督を続投。期限付き移籍で獲得した迫井深也や吉本岳史、経験豊富な廣長優志等を起用したが、勝ち点・失点数共に初のリーグ最下位となり、信藤はシーズン終了後に監督を辞任。
この年の終盤には元横浜Fのアルゼンチン人DFのモネールが入団。
2002年 キャッチフレーズ:「ガムシャラ ~原点を思い出せ。迷うな、負けるな、強くあれ!~」
初代監督のリトバルスキーを再び招聘。
ベテランの後藤義一や有馬が引退し、廣長が移籍した一方、城彰二、ルディ・バタ、マシューなどの大型補強を行った。
2003年 キャッチフレーズ:「PLAYER'S POWER ~勝利をつかめ~YOKOHAMA FC SPIRITS」
新たにジェフェルソン、トゥイード、中島崇典などを迎え入れ、城をキャプテンにすえて前年度に続きリトバルスキー体制で臨み、J2昇格後最高順位の8位(12チーム中)となった。
2004年 キャッチフレーズ:「MAKE PROGRESS」
JAPANサッカーカレッジ監督等を務めた足達勇輔を監督に招聘。補強は新人を中心に、ベテラン選手として佐藤一樹、貞富信宏などを獲得した。
2005年 レオックの増資引き受けによる事実上のオーナー交代により、財政的な不安がなくなったフロントは、各チームで世代交代の影響を受けていた三浦知良、山口素弘、望月重良等経験豊富な元日本代表選手達を新たに獲得し、チームの強化を図ったが、11位(12チーム中)で終了。
2006年 キャッチフレーズ:「夢に蹴りをつける。」
足達が監督を続投するも、早々に解任。
室井市衛、渡辺光輝、鄭容臺、吉野智行、アウグストなどを獲得した一方、小野信義等が退団。

同年にコーチとして高木琢也が新監督に。
新監督就任以来15戦負けなし(9勝6分)、連続無失点時間770分の2つのJリーグ新記録を作る。
12月4日にJリーグ理事会の承認を得てJ1昇格が正式に決定
2007年~ J1
2007年 キャッチフレーズ:「勝つために、ここに来た。」
長年横浜FCを支えた北村知隆や吉武剛など11人が抜けた一方で、新たに11人の選手を獲得。
横浜FMから元日本代表MF奥大介、久保竜彦、東京Vからジウマール・シウバを獲得する。

チームの低迷を受け高木琢也監督を解任。
新監督にはジュリオ・レアルが就任するも、成績が低迷し、J1史上最速でJ2降格が決定した。
2008年~ J2
2008年 キャッチフレーズ:「夢のJ1は終わった。リアルなJ1への挑戦が始まる。」
ジュリオ・レアルが監督を退任、新監督に都並敏史が就任し、3年契約を結ぶ。

菅野孝憲・内田智也などがJ1の各クラブへ移籍し、山口や奥が引退する等、21人がクラブを去った。
一方、三浦知良は残留し、J2での史上最年長選手記録を更新。
2009年 キャッチフレーズ:「これからのサッカーが、ここにある」
山形・大宮などを率いた樋口靖洋が2年契約で監督に就任。
千葉に期限付き移籍していた早川知伸が復帰、韓国から劉孝眞、名古屋から片山奨典、大宮から田中輝和が加入。
2010年 キャッチフレーズ:「昇格 ~再び一緒にあの舞台に」
新監督として前鳥栖監督の岸野靖之が就任。
鳥栖から高地系治、柳沢将之、武岡優斗、渡邉将基、また鳥栖在籍歴のあるJFL・鳥取のシュナイダー潤之介、韓国釜山の金裕晋等を獲得。
J1昇格には届かなかったが、前年度を大きく上回る6位でシーズンを終了。
2011年 キャッチフレーズ:「結戦 ~KESSEN~」
新潟から中野洋司、横浜FMから藤田優人、鹿島から宮崎智彦を獲得。
また、新人として井手口正昭、荒堀謙次、佐藤謙介、韓国アンダー代表に選ばれている朴台洪を獲得。
前年に続いて鳥栖ゆかりの選手の獲得も行い、鳥栖を支えてきたDFの飯尾和也、鳥栖でJ2の日本人得点王の経験を持つ藤田祥史、2010年に特別指定選手として鳥栖で3試合に出場した森本良が入団。

監督兼GMだった岸野が2012年シーズンより監督専任になることを発表。
2012年 キャッチフレーズ:「走覇(そうは)~走りぬく、つながる想い、輝く笑顔へ~」
ペ・スンジン、大久保哲哉、内田智也、阿部巧等、かつて横浜FCに所属した選手が復帰。
杉山新、田原豊、永井雄一郎、堀之内聖を完全移籍で獲得。小野瀬康介がユースから昇格し、韓国U-18代表経験のある羅誠洙、2010シーズン特別指定選手だった中里崇宏とプロ契約を結ぶ。
2013年 キャッチフレーズ:「+ONE 心をひとつに」
川崎の黒津勝、群馬の松下弘樹、熊本の市村篤司らを獲得。
8月にはブラジルのSEパルメラスからパトリックが入団
第40節から3連勝するも最終順位11位でシーズンを終了。
2014年 キャッチフレーズ:「蹴心」
山口体制3年目。ユースから高丘陽平と石井圭太が昇格。ロアッソ熊本から南雄太、東京ヴェルディから小池純輝と飯尾一慶を獲得。
また、青木翔太がAC長野パルセイロから復帰。
その他、ホナウド、ドウグラス、フェリペ、永田拓哉、松下年宏、パク・ソンホ、浦項を完全移籍で獲得し。
アン・ヨンハを自由契約から獲得。野村直輝を日本経済大学から新加入した。

12月3日にミロシュ・ルスが2015シーズンの監督に就任した。

紹介引用:ウィキペディア横浜FCページ

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